「オーラの泉」誕生秘話。美輪明宏、江原啓之、国分太一

2005年に始まった「オーラの泉」

この番組から、パワースポットや神社が流行り出し、街ではスピリチュアルカウンセラーと名乗る人が大勢でてきました。

スピリチュアルブームの先駆けとなったこの番組。

霊感があると言われている歌手の美輪明宏さんと、スピリチュアルカウンセラーの江原啓之さん、そして進行役に国分太一さんがゲストを迎えて、オーラや前世など見えない世界を霊視するトーク番組です。

江原さんと美輪さんの霊視能力の高さと、心に響く名言でスピリチュアルに目覚める人が増え、社会的に大ブームになりました。

そこで、江原さんと美輪さんがどうやって出会ったのか、どういう流れでこの番組につながったのか、気になりましたので、調べてみたところ。

美輪さんと江原さんとの出会いには、2006年に他界した俳優の丹波哲郎さんが関わっているということがわかりました。

江原さんと丹波さんが出会ったのは、1999年。

江原さんが神社で開いていたスピリチュアリズムの講座によく来ていた女性の彼氏が丹波さんの事務所の役者さんだったそうです。

江原さんの噂を聞いた丹波さんが「ぜひ会ってみたい」と話したのがすべての始まりでした。

江原さんが、当時東京の杉並区にあった丹波邸へ訪ねていき、度々会うようになり親睦を深めていったそうでです。

もともと美輪さんと丹波さんは、若い頃から知り合いで、同士のように親しくしていたそうですが、そんな二人がとうとう丹波さんの制作した番組「丹波哲郎の好きにやらせろ!」で出会います。

江原さんと美輪さんはそのとき初対面でしたが、お互いの霊能力は認識していたそうです。どちらも丹波さんから情報を得ていた他、作家の佐藤藍子さんからもお互いの評判を聞いていたのだそう。

けれどその番組収録後、二人は連絡をとることも仕事で巡り合うこともありませんでした。

江原さんはその収録から2年後には、三笠書房から出版された「幸運を引き寄せるスピリチュアルブック」が大ベストセラーになり、

さらにその後、フジテレビ系で放送された「天国からの手紙」が大反響を巻き起こし、江原さんはメディアの寵児になっていきました。

「オーラの泉」が始まる

生前の丹波哲郎さんは、「オーラの泉」のような

霊の存在を明るくポジティブに伝えるスタイルのトーク番組をぜひやりたいと、テレビ局に売り込みをしていたそうです。

そのときには、江原さんにもぜひ手伝って欲しいとお話されていたようですが、

「オーラの泉」が開始される2か月前、丹波さんは、インフルエンザと肺炎、さらには虫垂炎を併発して入院し、そのままテレビに復帰することなくお亡くなりになられたそうです。

その後、「オーラの泉」が放送されることになります。

もともと美輪さんのレギュラー出演は決まっていたものの、江原さんの出演についてはゲストにするか、レギュラーとするか決めかねていたようです。

とりあえずパイロット版をつくって、視聴者の反応を確かめることになり、パイロット版の制作がはじまりました。

そこで江原さんと美輪さんは6年ぶりに再会するのでした。

久しぶりに会った美輪さんに驚くべき程の霊能力を発揮した江原さんは、後に、レギュラー出演が決定したそうです。

きっと丹波さんもこの番組の放送が決定したときは、嬉しかったのではないでしょうか。何よりも実現させたかった番組なのですから。

そして、この大ヒット番組が生まれるまでには、いろんな出会いや縁のつながりあって出来たこと。江原さんと美輪さんのコンビでなければ、ここまでのヒットはしなかったかもしれません。

この番組を考案した丹波さんが出演できなかったのが残念でしたが、きっとあの世で番組の成功を喜んでいるのではないでしょうか。

参考「オーラの素顔 美輪明宏の生き方」

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